ホコタテブルース

Yahoo!ブログさんから移行しました。shin'ya shinri.2019.08.29

意味を辞書で調べて出直してこい。

力による平和。正義のために人を殺して良いという考えにはどうしてもなれない。死にたくないから殺されるのが怖い。殺すのも怖い、まじ無理。戦争怖い。争い怖い。ということは私は死刑制度も反対なのだろうか?その答えはまだ決まってない。

過去の経験から、私は自分のやばいところを自分自身でちょっとだけ気付いてる。実際はたぶん、もっとひどいんだろうけど。優しい友達がいてくれることは私にとって本当にいちばんの幸運なのだ。助けてもらってばかりだなといつも思う。ご恩がたまる一方。

未来なんて考えられないほど今を助けてほしい人が多い。今日もSNSにいらつく、飢えをしらない私。「やらない偽善よりやる偽善」って何だよ。そんなこと言わないでいいよ。全然偽善じゃない。あなたの優しい心じゃん、それ。

想像力ねえの。

想像力があれば、と常々思っていた。みんなに想像力があれば、世の中から悲しいことがなくなっていくはずなのに、と。

新聞の山を削るメガソーラー(2024.12.6朝日朝刊29面)という見出しで、記事にあった『山を削って太陽光発電所がつくられるなんて考えもしなかった。想像力のなさを後悔している』という言葉がここ数日頭から離れない。

もし私が発電所をつくるなら、と考えたことがあるからだ。太陽光か風力発電が良いよなぁ、だって自然だし。自然の恩恵すげ〜、みたいな。

でも、その言葉でようやく気付いたのだった。めちゃくちゃブーメランじゃん!!!

よくよく考えれば、そうだよなと思う。あんなでっかいもんどこにつくるんだって話だもんな。でも、どの発電所が良いかなと考えたとき、山を削るなんて考えもしなかった。

「ちょっと想像すれば分かるのに」。過去に偉そうに放った言葉は、勢い衰えず戻ってきて見事に私をぶっ飛ばした。

自分に想像力がないなんて想像もしなかったよという、まったくお恥ずかしい話。

缶ビールとサンダル

夏みたいな格好で歩いていたけれど、ホテルの前のマイバスで買った缶ビールに秋の文字。もちろん飲んだ。私は自分の顔を隠すためにマスクを着けるのが好きで、マスクの色は黒。服も黒い。全身黒いときもある。髪だけが明るい色。8月が終わるね。明日も早起き。

満ちる

 私の中に「何か」がたまらなくなった気がしていた。つまり私の中は空っぽで、物語もなければ言葉すらない。
 強い風が吹き始めてから3日目、窓の隙間から聞こえる高い音の風に、ふと窓の外を見て、木の美しさに惹かれた。日射しを受けて光る葉、風に揺れる枝、でもその動きは、何のそのこれしきと言わんばかりにとてもしなやか。
 ベランダに出て、じっと景色を見た。こんな風なのに不思議と雲の動きはなく、空は高くて広いと使い古された言葉を思った。私が思う言葉は、誰かが一度使ったものなのだ。心地よさと悔しさ。
 風の音、腕に吹きつける風、乱れる髪、空の色、雲の流れ、梅雨明けの暑さ、氷がガラスに当たる音、そしてグラスの結露が指先を濡らす。
 目の前に広がる景色と自分だけの世界。ただひたすらに、1人の世界。
 そして「何か」がたまってきた、と感じた。まだ形に仕上がっていない「何か」に笑いかけられた、と感じた。「何か」が私を突き上げている。衝動、混乱、嘆き、喜び、慟哭、興奮。
 突き動かされる感覚。久しぶりすぎて、笑っちゃったくらいだ。生きてる。

トマト!トマト!トマト!

 トマトを買い物かごに入れて、夏が近付いてきたなと思う。冷蔵庫に入れると私には冷たすぎるので、食べるまで水道の水で冷やす。生野菜は体が冷える、というのを最近ひしひしと体感している。
それでも暑い日には生野菜を食べたい。たくさん食べたい。ビールが進むと、なお良し。
 浅漬けのもとを買ってみようと思い立ち、茄子とキュウリを漬けた。懐かしい味がした。祖母が作る古漬けが好きだったが、もう食べることはできないだろう。母が病気になったとき、ふとしたことで考えが食い違い、それからすれ違ったままだ。新聞で孤独を感じる30代、という記事を読んだ。でも私は子どものときからずっと寂しさを感じていた。これからも私につきまとうのだと思う、その寂しさは。

道を歩く

 掌からこぼれ落ちたは砂粒が拾われることなく風に飛ばされていく。時折、自分自身がそんな砂粒なのではないかと思う。時折、そうして憂えて満足している。言われなくとも分かっていると悪態をつきながら、後ろめたさを感じながら暮らしている。
 そういう自分と闘って暮らしている。